2016年 01月 15日
レッスンの授業料と自由 |
マテオとルナの日本語レッスン、授業料をどうしようかとずっと考えていたのだけど、1回8ユーロもらうことにした。(最低賃金)
お母さんのエリザベットは「tous en sel」というアソシエーションに入っている。ギフト経済というのか地域通貨というのか、お金を介さないでサービスを交換しあうという、このサイトで日本語教師を捜していて、それに加入しないかと云われたのだけど、(そうしたら自分の働いた分だけポイントがたまり、別の人からサービスが受けられる)色々考えたのだけど、一番しっくり来る解決法が、やっぱり彼女本人からお金をもらうことだった。
ギフト経済、私自身はとても惹かれるし、実際にninaとはヨガとフランス語を教えあうのをお金のやり取りなしでしているけれど、こっちはそんな風にすっきり府に落ちなかった。
彼女に「このままでいいの?」と聞かれたのもあって、1週間考えてメールした内容は、「私自身は日本語レッスンを続けたいと思っていること」「授業を膨らますために経済的な自由が欲しい」「その方がお互い平等になれると思う」。図らずもフランスの3大理念「フラタニテ」と「エガリテ」を使っていた。。。
それが効いたのか、「OK、あなたにお金をあげる」って。ふう。。。
あとで彼女にメールで「外国に住んで仕事を探すことがとても難しい、そしてすべてをだんなに頼っている私にとって、少しのお金だけれど、すごく大きい意味があるのよ。あなたは私に自由をくれたわ」と書いたら大文字で「よかった。私もうれしいわ」と返事が来た。(なぜか映画の吹き替え風の台詞。笑)
韓国で、無料で日本語を教えていた時は、生徒達がいつもあふれるばかりのフルーツやら食べ物を毎回持って来てくれたけれど、ここはやはり違う性質の人たちなんだなと思う。
なんていうか、人ってそれほど想像力が働かないんだなと思う。だから交渉(?)しなきゃいけないのよね。
そしてお金をあげるということは、その人に自由をあげることなんだなーと思ったのでした。
(って考えると悪いことをしている企業の製品を買うってことは、悪いことをする自由をあげることなんだ、、とか余計なことまで思いついたりした。。。)
by helebore
| 2016-01-15 18:06
| 日本語
|
Comments(0)